私が、おバカな美大1年生だった時の思い出です。「生物」という教科があってK先生は、60代後半のおじいさん先生で。私は、せっかく美大に入ったんだから、生物なんて講義は受けてるヒマあるかい!と言う気合で、図書館で画集をあさったり、本を読んだりして忙しかった。朝に夕に、新聞配達してたから、学校にいる間くらい好きなことをしていたかった。アンドリュー・ワイエスの画集を見つけて、衝撃を受けたのもこの頃だった。出席を取らない講義は、そうやってサボっていて。
そしたら、クラスメートが「生物の授業、出てないでしょ」、と言う。うん、出てないけど?と言っておいた。次の週、また別の友人が、同じことを言う。出てないけど、何?と聞いたら。「返却するものがあるのに本人が来ないと渡せないって言ってたよ」って。と言われたのに、更に次の週、仲のいい友人に「3回連続で、出てないでしょ」、と言われてしまう。なんだか、出た方が良さそうなので、次の授業は、その友人と一緒に出席した。
授業の冒頭で、「ええと、○○さん、いたら来て」と私の名前が呼ばれるのでした。恥ずかしいけど仕方がないので、教壇まで降りて行って、小さい紙を受け取りました。すっかり忘れてたんですが、それは、アサリの貝殻のスケッチでした。全員に貝殻が配られて、それを小さい紙にスケッチして採取場所を記入して、採集カードの作り方の授業があったのでした。
「あなた、○○さん?」って先生、なぜかこっちに一歩、寄るのでした。私は、ハイ、すみません!とかいって、そそくさと体の向きを変えてます。さっさと戻りたい。。「あのね!」先生が、しっかりした声で、呼び止めるので叱られちゃうのか?
と思って先生を見ると、「それね、すっごく、いい絵だよ!」?!嫌味を言われてるのか?!いや、そういう顔じゃない、マジで褒めてるらしい。しかし、このタイミングで、100人強の学生の前で、生物の先生が何を言ってるんだろう?!私は、アホなので、2秒くらいの静寂を作ってしまった。冷や汗ものだった。もし、嫌味を言うなら、今なんじゃない?と思ったけど、先生は、真面目な顔で、ただ、じっとこちらを見ているのでした。
なんとかお礼を言って席に戻ったと思いますが。わずかに釘を刺す感じのニュアンスは、「今のあなたにはわからないと思うけど僕は、いい絵だと思う」と、言いたかったんではないかな、と思い至りました。
なぜかというと同じように、アトリエに来てくれるお客さんの絵に、私自身が、時々それを言いたくなるからです。
あるお客さんが、たくさんの点々のある画面を、スポイトで引っ掻きながら細―い線でぐるーっと大きく線を描いていて。いつまでも、ぐるーっと描いている。この繊細なバランスは、素敵だなあと思うのでした。そして、同じことが、またいつ現れるか、その貴重さを、この方はわかっていないかも?
今、すごくきれいなバランスですよ。「えー?そうですか。。もう少し描いたら、水でこうバーッと流そうかなって思ってました」
そうしたかったら、それもいいと思う。でも、今のままでも、十分素敵だと思う。その方は、にっこりして、そのままで完成ということにしたのでした。
誰かが発見して、見えてくる良さ、があって。ああ、そういえば、と思う感性があって。それが、浅いものから、深いものまで、すごいグラデーションの中を私たちは生きていて。何十年もしてから、浮かび上がってくる表情がある。作りものじゃない生の表情は。
元気が湧いてくる生の表情は精度をあげて、理解して再記憶する。
元気を邪魔する表情は、思い出すたび、その画像を、1枚削除する。だって、いらないんだもん。100回もそれをやったら、邪魔な記憶の容量はだいぶ減る。そうやって頭とハートの空き容量を取り戻す。スマホの空き容量をキープしておくのと同じように、大事だと思う。

写真-1 アサリのスケッチと、K先生のAの文字とダッシュ。

写真-2 K先生の書いた教科書。挿絵は先生が描いたもの、と思っていたら、最後は奥さんに助けてもらった、とあとがきに書いてありました。素敵なお話だなあ。
