絵を描く前に砂をさわってもらうのはどうかな?砂をさわるとき、どうやってさわるか考えるひとはいないと思うから。砂をさわりながら自分の本音にさわることに近づくんではないか。。ただ好きにさわっているとそのうち、生の感覚が、浮き上がって感じられるようになるんではないかな。言葉になる前の、感覚になる前の、もしかしたら、蓋をしてきた気持ち。まだ気づいてない自分の本音に、向き合う一瞬。
砂を遊んだその指で、パステルを持ったら絵を描く、何かを描く以前の、今の深い感覚を表現して遊ぶことができるんではないかな。そこに意味があるだろうかと聞きたいひとへ。あると思う。本音を意識している自分をていねいに感じると、それは日常でも再現できる感覚になる。普通にある感覚となる。
どんな種類の本音でも、どんなささいな本音でも、受け止める場所・人に出会えるとそれは、「あってよかったこと」になる。そういうことの積み重ねが「自分でいる」という自信になってくる。
写真は、砂を散らすような私の絵のパーツ。
砂を遊んだその指で、パステルを持ったら絵を描く、何かを描く以前の、今の深い感覚を表現して遊ぶことができるんではないかな。そこに意味があるだろうかと聞きたいひとへ。あると思う。本音を意識している自分をていねいに感じると、それは日常でも再現できる感覚になる。普通にある感覚となる。
どんな種類の本音でも、どんなささいな本音でも、受け止める場所・人に出会えるとそれは、「あってよかったこと」になる。そういうことの積み重ねが「自分でいる」という自信になってくる。
写真は、砂を散らすような私の絵のパーツ。
