職場で、いつもの叱責パターンが始まる。みんなが呼ばれて、𠮟責される。内容が、いつものあれだ。これは、30分コースかな。。みんなも、同じことを感じているのがよくわかる。。・・・ちょっと、口を開いてみたくなり。。
「誰かが失敗したときというのはどうして失敗したかという理由があるはずで。それを、お互いに、ああそういうことでまちがったのかというのを言って、聞いてもらえたら。。そのやりとりが、もっとちゃんとできたら私たちも安心して確認できるし上司さんも、私たちがどこまでわかってるのか確認できるから、やりやすいんではないかと思うんですよ。せっかくの機会なので、やりとりをもう少しちゃんとできたら、ありがたいんですが」、と。。なんいうか、ふるふるふるーと、口が動いてしゃべっていて。
またそれが、抵抗なくその場に響いたので、驚いた。その後のことは、全く考えてなかった。腹も立ててないから、抗議の気配でもない。。そこからの30分は、上司さん以外のメンバーが順番に、口を開いた。みんな、とつとつと、思うことを話していて。私は、そこに質問したりした。時間は、なんというか、意外にゆっくり流れた。最後、その総意をまとめるとこういうことですね!と上司さんから提案がだされたけど、その方向は変だった。でも、それで変化が起きるなら、それでもよかった。このまま、意味のない叱責が続くよりは、よほどいい。では、明日からそういうことで、と話は一区切りした。
少し考えれば、それは無茶なのだった。一番忙しい時間の、一番経験と手早さの必要な作業に未経験な人をあてがう、というのは。それを全員で経験していけば情報も経験が共有できるのはわかるけど。(やりとりをていねいに、する代わりに、それをやりましょう!という提案)でも、いっぺんにそこにたどり着けないから超いばらの道が、しばらく続く。そこを経験者と上司がサポートしながら作業を覚えていく。それは、良いことではあるけど、相当の段取りとか区切りがないといつもの作業がこなせない。凡ミスの発生率もあがる。監督する人が必須だし。そうすると、要員はマイナス1だよなあ。。なんで、あんなふうにしゃべりだしたかなー自分。。言っても伝わる気がしなかったからモノを言うことは、諦めていたのになあ。。
ということが、午前中にあって午後、アトリエにお客さんが来られました。写真は、その時に私が描いた絵です。実はこんなことが、あって。。と、今日のできごとの説明と描いた絵を見ながら、今の気分を簡単に説明します。アトリエの主催者は気分が表現になっていくことを検体として、差し出すのです(笑)そしてそれは、具体的で生な気分の方が、リアルに伝わりやすいのです。
左が、アトリエ開始の時の自分。職場のできごとが、頭から離れません。さわさわしているから、色をあんまり塗りたくない。。手を動かしたくない。あ、今見たら、手が、ホントに真っ白だ。。右が、アトリエ終了の時の自分です。まだ、さわさわしてるんですが表情が少し穏やかになってます。なるようになるでしょう、と言う気分になってきてます。水彩画は、いろいろ洗い流したい気分で水をいっぱい使ってました。。
そんなふうに絵を遊ぶ時間で、バラバラな自分が落ち着いてくる。すると、表現が変化する。。描いた後で気づきます。次の日の職場。メモを整えて行きましたが。案の定、何も新しいことは、起きなかった。最悪、罰のように、やってくださいと言われたら淡々とやるだけだなあって思っていたんだけど。罰より、冷静なふるまいが優先されて。まずは良かった。。
その後、職場はほんの少しづつ、落ち着いてきました。コミュニケーションというのは、単に言葉の行ったり来たりではなくて、目的をはっきり感じながら言葉を使うことだな、と。例えば質問、確認、訂正とかをお互いの間でちゃんと共有できれば、そこでやっとコミュニケーションになるのだなあ、と思う。問い合わせして確認できて安心する、ということが、小さな安心なんですけど、増えてきたように思います。小さな安心は、どんな場所でも大事。。
「誰かが失敗したときというのはどうして失敗したかという理由があるはずで。それを、お互いに、ああそういうことでまちがったのかというのを言って、聞いてもらえたら。。そのやりとりが、もっとちゃんとできたら私たちも安心して確認できるし上司さんも、私たちがどこまでわかってるのか確認できるから、やりやすいんではないかと思うんですよ。せっかくの機会なので、やりとりをもう少しちゃんとできたら、ありがたいんですが」、と。。なんいうか、ふるふるふるーと、口が動いてしゃべっていて。
またそれが、抵抗なくその場に響いたので、驚いた。その後のことは、全く考えてなかった。腹も立ててないから、抗議の気配でもない。。そこからの30分は、上司さん以外のメンバーが順番に、口を開いた。みんな、とつとつと、思うことを話していて。私は、そこに質問したりした。時間は、なんというか、意外にゆっくり流れた。最後、その総意をまとめるとこういうことですね!と上司さんから提案がだされたけど、その方向は変だった。でも、それで変化が起きるなら、それでもよかった。このまま、意味のない叱責が続くよりは、よほどいい。では、明日からそういうことで、と話は一区切りした。
少し考えれば、それは無茶なのだった。一番忙しい時間の、一番経験と手早さの必要な作業に未経験な人をあてがう、というのは。それを全員で経験していけば情報も経験が共有できるのはわかるけど。(やりとりをていねいに、する代わりに、それをやりましょう!という提案)でも、いっぺんにそこにたどり着けないから超いばらの道が、しばらく続く。そこを経験者と上司がサポートしながら作業を覚えていく。それは、良いことではあるけど、相当の段取りとか区切りがないといつもの作業がこなせない。凡ミスの発生率もあがる。監督する人が必須だし。そうすると、要員はマイナス1だよなあ。。なんで、あんなふうにしゃべりだしたかなー自分。。言っても伝わる気がしなかったからモノを言うことは、諦めていたのになあ。。
ということが、午前中にあって午後、アトリエにお客さんが来られました。写真は、その時に私が描いた絵です。実はこんなことが、あって。。と、今日のできごとの説明と描いた絵を見ながら、今の気分を簡単に説明します。アトリエの主催者は気分が表現になっていくことを検体として、差し出すのです(笑)そしてそれは、具体的で生な気分の方が、リアルに伝わりやすいのです。
左が、アトリエ開始の時の自分。職場のできごとが、頭から離れません。さわさわしているから、色をあんまり塗りたくない。。手を動かしたくない。あ、今見たら、手が、ホントに真っ白だ。。右が、アトリエ終了の時の自分です。まだ、さわさわしてるんですが表情が少し穏やかになってます。なるようになるでしょう、と言う気分になってきてます。水彩画は、いろいろ洗い流したい気分で水をいっぱい使ってました。。
そんなふうに絵を遊ぶ時間で、バラバラな自分が落ち着いてくる。すると、表現が変化する。。描いた後で気づきます。次の日の職場。メモを整えて行きましたが。案の定、何も新しいことは、起きなかった。最悪、罰のように、やってくださいと言われたら淡々とやるだけだなあって思っていたんだけど。罰より、冷静なふるまいが優先されて。まずは良かった。。
その後、職場はほんの少しづつ、落ち着いてきました。コミュニケーションというのは、単に言葉の行ったり来たりではなくて、目的をはっきり感じながら言葉を使うことだな、と。例えば質問、確認、訂正とかをお互いの間でちゃんと共有できれば、そこでやっとコミュニケーションになるのだなあ、と思う。問い合わせして確認できて安心する、ということが、小さな安心なんですけど、増えてきたように思います。小さな安心は、どんな場所でも大事。。
