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2025.4.17【イヤなことをイヤだと思うこと】

絵を描くように造花やビーズで、小さい花束や、植木鉢や、箱庭を作ってもらう。

アトリエで使う、工作の材料、増やすことにしました。絵を描くように造花やビーズで、小さい花束や、植木鉢や、箱庭を作ってもらう。持って帰って飾ってもらえたら、遊んだ大事な感覚を味わってもらえるかなと、思いました。

仕切りを作って、並べるのは楽しい。準備しながら、ダンナさんのセリフ思い出してました。私が愚痴を言ってると、「イヤなら止めたら?」って。嫌味ではなくて、普通に言うんですが。

理屈ではなくて肌感覚で答を出す。それは、めちゃ短気なんでは?と思ってたけど。自分を守る、という面では正解だったなあ。「イヤなら止めたら?」と言われるたびに、いや、でもさ、と返事していたんですが。

興味があるから続けてる。いろいろわかってくれば、いいこともある。しんどいこともある。で、なんだこれはと思いながら修行のように続けていって、そのうち、カラダが動いていけば感度がよくなってきた。これは、やっと探しものに手が触れたみたいなこと。すごくラッキーなことだった。砂の中の特別な一粒を、探しあてたようなことだったと思う。

そんなことにずいぶん時間を使ったと思ったけど、同時に、探してるものは、あそこにはない、ここにもない。とわかってきたのだ。ということは、いろんな種類のピュアで生な喜怒哀楽を掘り起こせたのだ。私は、肌感覚の好き嫌いが、だいぶ鈍っていたと思う。

20年前、岸田秀さんがどの本だったか、日本という国は自分をレイプした相手と結婚しているような国だと書いていた。アマゾンを見たら、岸田秀『20世紀を精神分析する』のコメントに内容の紹介があって

「国家の方針が外国の顔色に左右されるというのは言うまでもなく屈辱的なことであるが、日本政府も国民もあまり屈辱的と感じないらしいのである。屈辱を屈辱と感じないのは知覚に盲点があるからである」。

この本だったかなあ。。

「アメリカには、わが国が「YES」と行ったとき、それは心からの賛同ではなく、ご機嫌取りでしかないこと、「NO」と行ったとき、それは意地と鬱憤晴らしでしかないことが見え見えである。したがって、当然のことながらアメリカはわが国の「YES」に感謝どころか軽蔑しか感じないし、「NO」と言われればその理由を理解しようとせず腹を立てるだけになる。」

今なら、もっと解るような気がする。これは、私と誰かのことかもしれない。長年のこの、ナニカとつきあっていくときの重たい感覚は。。つきあう距離の取り方がわからなかったということかもしれない。そんなことがあっても方向転換できれば、困らない。「修行」を脇に置いて、岸田秀をもう一度読む。

はっきりしない重い灰色のものが、思い当たるものになるときこれは、面白いのですよ。豊かな、味わい深いグレーになる。

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