ダンナさん、一昨日の朝、旅立ちました。朝6時に救急車を呼んで心肺停止が確認され、いつものクリニックにその後のことを電話で相談して、病院へは搬送しないことにして、いつもの看護師さんが来て、引継ぎされ、一緒にエンゼルケア(身体を拭いて洋服を着せる)をして、9時半頃、いつものお医者さんが来られて、昨日はどんな様子でしたか?とひと通り聞いてから、死亡診断書を書いてくれました。
パニックに近い状態から、3時間半で、この穏やかな気持ちになっているのは、どうして?と思ったので、絵を描いてみました。写真の絵、1から7です。何を描いたかというとそのときの気持ちです。
1.パニック
2.救急隊員さんの仕事を見ている
3.電話、お医者さんの落ち着いた声
4.涙
5.エンゼルケア
6.死亡診断書を書くお医者さんを見ている
7.いろんな方と言葉を交わしたことを大事に思う。穏やかな時間。
ムリなことは何もなかったのでした。必要な言葉のやりとりがあって、それはシステム的なサポートの上にしっかりあって、淡々と流れていたのでした。この3ヶ月で出来ていた信頼が、最後の時まで生きていたのだと思います。ありがとうございましたと、何度もお礼を言いました。
『死ぬ瞬間』の著者、キューブラー‐ロスの話、思い出しました。人はどんな段階を踏んで死を受け入れていくかを、たくさんの事例で研究した人です。その本人が、自分の死を前にして荒れたというエピソードです。なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの!?とか、f〇〇k!とか、叫んでいたという話。けっこう好きなお話しです。怒ったってしようがないのはわかってるよ、だけど!!って叫んでしまうのが、ああ信頼できるな、という感じでした。
その話を彷彿とさせるようなことが、ウチでもありました。ダンナさん、かなりはっきり怒ってました。理不尽などうしようもない怒り。誰かにぶつけられて良かったと思う。ぶつけないとどうしようもないことはある。そう表現しないと自分でいられない。
一度、怒りが収まったらその後は、すごく協力的でした。
後で娘ちゃんに、キューブラー·ロスのことを話ました。私のときも、叫ぶかもしれないよ。なんて?ざっけんじゃないよ!!とか(笑)
この前夜から朝までは、いろんなことがありました。濃いやりとりの連続でした。後でお医者さんにそのあたりを話してみましたら、おそらく夢と現実が交差していたんじゃないかと思います。家族の声かけで、少し現実に戻れていたんじゃないか、とお話しされてました。
実は先週、遠方の親戚が2人と、ダンナさんのお母さん(95歳)と、お姉さんがお見舞いに来てくれたのでした。ウチは5階なので、お母さんは階段を上れるだろうか?とか、いろいろ無茶な冒険のようではありましたが、親戚の方のサポートもあり、実現できました。会えて、お互いにとてもうれしそうでした。とてもいい時間でした。会えて良かった!
そして私は、昨日、あれだけ疎遠に思っていた母と電話で長く話しました。母は相変わらず、とめどないおしゃべりが止まらなくなりそうでしたけど、私はそこに、句読点を入れたり、見えにくい話を、戻したりできるようになっていた(!)ので、大丈夫でした。謎だった父のことも、新しい話が聞けて、なるほどねー、だからああだったのか、と。父の育ての親との関係を聞くと、気持ちを押さえてやり過ごすのが一番安全なやり方だったんだろうと思いました。子どもに対してもそうだったので、それが私にしてみれば、だいぶ謎だったんですよね。
妹とも電話でおしゃべりしました。その頃には、思い出も笑い話もいろいろ出て(笑)。よく笑ってたので、きっとダンナさんも、聞いていたんじゃないかと思います。
ダンナさん、亡くなる前日、スマホで音楽を流してました。サザンでした。懐かしいなあ。若い頃、2人でドライブしながらよく聞いたのを思い出して、じんときました。サザン、泣かしてくれるなあ。。
今日の夕方、ダンナさんは搬出されて、安置室で来月の告別式を待ちます。今時期は、会場は混んでるんですね。いいお天気を願いつつ、片付けと準備、していこうと思います。
